ご挨拶

『柳谷観音大阪別院泰聖寺院代の純空壮宏です。』
簡単ではございますが、私の自己紹介させて頂きます。

大阪天王寺生まれの住之江南港育ち。 南港桜小学校~南港北中学校~住吉高校出身。

趣味は旅行で、バックパッカー歴10年以上。 「人生とは旅であり、旅とは人生である」 僕の大好きな中田英寿氏の引退メッセージから。

海外渡航歴30カ国(地域)。 カナダ・アメリカ・メキシコ・韓国・中国・台湾・インド・ネパール・タイ・ベトナム・カンボジア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・インドネシア・サイパン・ロシア・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・ドイツ・ポーランド・ベラルーシ・ベルギー・フランス・モナコ・スペイン・イタリア・バチカン・モロッコ・オーストラリア・タスマニア・エジプト・トルコ・ブルガリア・ギリシャ。

最近はラオス。そして、ミャンマー。

世界中を旅して、自分の知らないことを知りたい、見てみたい。 世界平和を願う人が世界中にたくさんいますよ。

『ワールドピース。』 これが僕の旅のモットーです。

富山からウラジオストックへの船中、シベリア鉄道モスクワ行きの旅で出逢ったドイツ人の女性に教えてもらいました。

世界は広い。だから文化も違う。その事を共有できれば争いはなくなるはず。 僕たちは毎日勉強もできるし、好きなこともできるし、恋も自由にできる。

それは僕たちが住んでいる日本が平和である御陰だからです。 その事を切に実感した旅でした。

きれいごとかもしれませんが、 「汚いことを言えば汚い人間になる。きれいな世の中を願えばきれいな人になる」 沖縄の言い伝えです。

高校卒業後、数年間上記のような経験をしながら海外を渡り歩き、 帰国後、社会福祉の現場で実務経験し、介護福祉士・ケアマネの資格を取得する。 認知症ケア専門士や介護予防運動指導員などの資格も取得している。

この時、人生のターニングポイントになった出来事が。

泰聖寺の住職である叔父が脳出血で倒れ、叔父の介護のため、お寺で暮らし始める。 その後、在家出身にもかかわらず、お寺護持の為に二十九歳で出家を決意する。

年号事項
平成20年 得度式・僧籍編入し、総本山光明寺で勉強、柳谷観音にて修行。(授名 壮宏)
平成21年 京都西山短期大学にて、法脈相承のための勉強と修行。
平成22年 総本山光明寺にて、法脈相承を満行し、法と戒、空号を授与される。(授名 純空)
平成23年 京都龍谷大学文学部仏教学科編入。
平成24年 京都龍谷大学文学部仏教学科卒業。
平成25年 総本山誓願寺にて、曼荼羅相承満行し、阿号授与。(授名 一阿)
平成26年 僧階【中僧都】任
平成29年 泰聖寺代表役員任命の辞令を承る。
平成30年 僧階【権大僧都】褒賞、紫衣着用を特許される。

メディア情報

公開講座『法然上人二十五霊場の巡拝について』の講義を受講して。

我が宗の宗祖である法然上人二十五霊場の巡拝についての公開講座に参加しました。

巡礼に興味がある私にとって『図解雑学 法然』を参考にした講義は巡礼の功徳について特別な想いが蘇ってきました。

それは二年前に三十歳で出家得度した私が、仏教の事を知るために行動したことが巡礼だったからです。

当時、京都西山短期大学で仏教を学び始めましたが、始めの半年間は仏心と云う心は生れてきませんでした。

そのかわり沢山の疑問が生じました。

「なぜ人はお寺にお参りにくるのだろうか。」 「なぜ人は仏様に手を合わせるのだろうか。」

そこで私はその疑問を解決するためにはどうしたら良いのかを考えましたが、いくら仏教の本を読んで勉強をしても、その意味がわかりませんでした。

悩んだあげく私は一つの方法に気づきました。参拝者の気持ちになって一緒にお参りをしてみてはどうかと。

在家出身である私は一般の方と同じ目線で仏教を始めれば、自分の感じた疑問に対しての答えが何か見つかるはず。

そんな動機で巡礼の旅を始め、西国三十三箇所、新西国三十三箇所、法然上人二十五霊場、西山国師十六霊場などをお参りして廻りました。

すると初めのころは手を合わすことさえ恥ずかしかった私にも仏心が芽生え始め、参拝すると合掌しながら読経をし、心が洗われてくるような落ち着いた新鮮な気持ちになりました。

法然上人の御一生は唯一筋、全ての生きとし生けるものが等しく救われていく、御仏の本願を教え広められるためのものでした。

同時に様々な迫害と流罪という法難にもめげぬ不屈の道でもありました。 あらゆるものを抱擁し、育む慈悲の優しさは、しみじみとした安らぎを与えてくれます。

十六番札所である総本山粟生光明寺の御詠歌は、 『露の身は ここかしこにて 消えぬとも 心は同じ 花のうてなぞ』であります。

この歌は、法然上人が七十五歳で御流罪になられる時、九条兼実公が今生の別れに際し、 「ふりすてて 行くは別れの はしなれど ふみわたすべき ことをしぞ思ふ」 と詠まれた歌に対する返歌です。

《人の命は草葉の露のようにすっと消え行く儚きものであります。 互いの身が何時何処でどちらが先に果てようとも、共に極楽浄土の蓮の台で逢える事を忘れてはなりませんぞ。》

法然上人の念仏の教えは、私たち罪深き凡夫の身でも往生を願い念仏称え申せば、 阿弥陀如来の本願のお力によって三悪道に堕ちることなく 生死、迷いの世界を離れ極楽へ往生させていただけるという事であります。

限りない報恩と敬慕の思いをこめて、私は初心を忘れず、今後も巡礼の旅へ行きたいと想います。

明眼利生 合掌